〜Yukiko Voice〜アソシエイトメンバー  宮川 理佳

〜Yukiko Voice〜アソシエイトメンバー  宮川 理佳

<〜Yukiko Voice〜との出逢い>
私が、〜Yukiko Voice〜を初めて知ったのは、28歳の頃でした。
当時は一人暮らしをしており、フリーランスで仕事を始めたばかりでした。
マスコミ・メディアの仕事の他、イベントのMC、ナレーション…自分のやりたい仕事もできていましたが、仕事がなくなる不安から、とにかくいただいた仕事はやる!という生活でした。
~Yukiko Voice~を始めるまでは気づいていなかったのですが、28歳まで、私はずっと不満を抱えて生きていました。
恋愛に関しても将来に対して悲観的で、結婚も諦めていました。不規則な生活で、食生活も出来合いのものを買って食べることもしばしば。
お酒も周りの人から「強いね」と言われるほど飲んでいました。
月経不順、花粉症、風邪を引けば副鼻腔炎、肩こり、腰痛…今思えば身体が悲鳴をあげていたのに、
それに気づかぬふりをして働いていました。
そんな時、プラチナインストラクターの上妻インストラクターにお会いしたのが、〜Yukiko Voice〜に出逢うきっかけとなりました。
初めてお会いした時から「綺麗な方だなぁ」という印象でしたが、1〜2ヶ月に一度、会うたびにどんどん綺麗になられて、スタイルも変化されている様子に驚いた私は、上妻インストラクターに「何をしていらっしゃるんですか」と尋ねたのでした。

<初めての全身から緊張が取れる感覚>
初めてのレッスンは上妻インストラクターに教えていただく、プライベートレッスンでした。
呼吸を丹田まで下げて、しっかり吐くことを意識すること…。「丹田」という言葉を、普段の生活で意識したこともなかったですし、「吐く」ことに集中して呼吸をしたこともなかった私は、呼吸の大切さに驚きました。意識することで、いかに普段の生活で呼吸が浅くなっているのか。また丹田を意識して呼吸をすると、呼吸が深くなり、心が落ち着いてくる感覚がありました。呼吸を意識しながら自分の手で身体、顔、頭を触り、張っている部分、痛みを感じる部分を確認していきました。それだけで、身体の中からじんわりと温かくなり、額に汗が滲んできました。
その時、全身を血液が巡っているような温かさを感じることができ、身体が軽くなり、普段より肩がスムーズに動く感じがしました。まるでマッサージを受けたあとみたいに身体のこりや痛みが和らいで、これはすごい!と感動したのを覚えています。一番びっくりしたのは顔の変化です。
むくんでいて、しまりのない、顔が引き締まったようになり、目が生き生き!上妻インストラクターに撮っていただいたbefore afterの写真でしっかりと確認できたんです。
そして、いかに自分の体が疲れているのか、気付きました。ストレスで固まった身体と脳。そこに気付き、呼吸や手で触ることで、身体がこんなにリラックスできるんだ!顔の表情も変わるんだ!
これまで諦めていた自分の体型や顔が、自分の手でもっと輝けるのかもしれない!
可能性に気づいた初めての〜Yukiko Voice〜レッスンでした。
それから、週に1回の頻度で密にレッスン受講を続けました。受講すると、表情が明るくなり、やる気もみなぎってきます。リラックスできて、ストレスを受けた身体や、緊張が和らぎ、喜んでいるのがわかるからです。受講後の自分を維持したい、定着したいという強い思いもありました。また、レッスンを通した声で話した時の気持ちよさ、声を聞いている人たちが感じる心地よさ…これは人前に立って話す機会が多い私には体得したい発声法でした。

<Yukiko先生との出逢い そしてコンプレックスと向き合い始める>
ただ、私は、人前に立つと緊張して、声が震えたり、肩に力が入ってしまう様な性格で…こういう仕事をしながらも、人前が苦手というコンプレックスを持っていました。
そこで上妻インストラクターのアドバイスのもと、熊日学習プラザのグループレッスンを受講することにしたのです。
Yukiko先生に初めてお会いしたのも、このときでした。先生は華奢な身体なのに、声には力があり、どこまでも響き届く声でした。外見も、年齢を聞いてびっくりするくらい、若く見えます。女性としての柔らかさがありつつも、強さを感じる女性で、「こういう女性になりたい」とすぐに思いました。
さて、グループレッスンでは、途端に声が上手く響きませんでした。自分一人ではなく、ほかに人がいると思うと、つい他人と自分を比べてしまい、「人よりもっと声を出すぞ」という競争心、「あんなにいい声出せない」という劣等感、自信喪失などグループだからこそわかる自分のコンプレックスやネガティブな性格が見えてきました。
気持ち良く声が出せて、先生から褒められても「いや、今のはたまたま。」と、自分の成果を認めることもできない人間でした。仕事でも人前で緊張して自分の力を発揮できない理由が、グループレッスンを受けることでわかったのです。
私が人前で緊張を感じるようになったのは、高校時代からでしょうか。授業で発言をする時、顔が赤くなる自分が恥ずかしいと感じたことがありました。それ以来のトラウマをここで克服したい!との思いから、Yukiko先生のプライベートレッスンを受けるようになりました。

<アソシエイトメンバーを目指す中で知ったどうしようもない自分>
Yukiko先生のプライベートレッスンは、月に1~2回、自分の内面と向き合うことになりました。
内面を知るということは、自分の持つポジティブな面のほかに、自分の持つネガティブな面を知り、受け入れていくことです。
プライベートレッスンとグループレッスンを受けている内に、もっと自分の内面を知りたいと思うようになりました。自分の良さ、弱さを認め〜Yukiko Voice〜を教えていらっしゃるYukiko先生と、上妻インストラクターから溢れる強さと美しさに憧れたからです。
アソシエイトメンバーコースからは、「Reborn」をテーマとしたレッスンが始まりました。それはつまり、今まで取り繕ってきた自分の皮を剥がすことでした。それは本当に難しいものです。ポジティブな自分を受け入れるのはまだしも、ネガティブな自分を受け入れるのは認めるのを拒むほど、気持ちがわからなくなり、葛藤が起きました。
初めはYukiko先生の言葉が受け入れられず、反発ばかりしていました。反抗期みたいに、Yukiko先生のおっしゃることと反対のことをしようとしたり、先生の言葉と違うことが現実に起きればいいのにと願ったり・・・差し出された手を自分から振り払うようなことばかりしていました。
20代後半の大事な時期を、無駄にしていることにも気付かず、先生の言葉に反抗し、さらには自暴自棄から抜け出せるよう導こうとしてくださる先生に対して怒りの感情を向けました。でも本当は、その怒りは、当時私が抱えていた問題に対する怒りであることに、レッスンを通して気付くことができたのです。
またこのころの私は周りの幸せを妬ましく思い、人の輝きを認めることすらできずにいました。
それだけのネガティブな心を胸の内に隠して、人前では世間一般で言われる「正しいこと」を言う自分・取り繕う自分がいました。一方では自分を守り、一方では「どうせ自分なんて、こんなもんだ」という諦めがあり自暴自棄になってしまう自分。そんなどうしようもない自分を変えたくて、Yukiko先生や、上妻インストラクターのようになりたくて、私は心から〜Yukiko Voice〜を求めたのだと思います。
ネガティブな面も受け入れて、素の自分でいることのできる強さ。そこから生まれる美しさをYukiko先生と上妻インストラクターから感じていたのです。
先生は、どうしようもない私を本気で叱ってくださいました。「20代後半の一番大事な時期に、なにをしているのか」と。そして許されるべきではない行為をした自分を叱るだけでなく、しっかりと向き合わせてくださいました。現実から逃げないよう、時間をかけて、根気強く、ネガティブな自分と向き合わせてくださったのです。
そして、アソシエイトメンバーコースのレッスンを受けるうちに、私のネガティブの根源は幼少期から、自分自身で作り上げてきたものだと気づくことができたのです。
私には2歳年下の妹がいます。生まれつき障害があり、私が物心ついた頃には、母は妹のことで精一杯だったと思います。その分、幼少期は祖父母の家で面倒を見てもらいました。寂しくは無いけど、孤独はずっとありました。近くにいてくれる人もどうせいつかいなくなるんじゃ無いかなぁ。。という不安はどこかにあって、周囲の大人の顔色を伺い、良い子でいるようにしました。だから、取り繕うのが当たり前。それは癖のようなものでした。ほかの人が注目されるのを妬むのも普通でした。天真爛漫にしている同世代がうらやましかったです。そんなネガティブな自分はどんどん硬く築き上げられていきました。
その硬くなった自分を一つ一つ、Yukiko先生は向き合って、紐解いてくださったのです。
言いたいことがあるなら、言葉で伝えれば良い。結婚を諦めている。
現実から逃げてばかりの自分に対して、丁寧に向き合わせてくださいました。
そして、そんな自分と決別し、前へ進む手助けをしてくださったのです。

<過去の自分との決別>
私は、一人暮らしをやめ、実家に戻りました。
それでも、簡単に過去の自分と決別できるわけではありませんでした。生ぬるい環境に戻ろうとする私。なかなか次に進めない苦しさも味わいました。
また将来を考えずに生きてきた自分にとって、将来を考えられるような男性と関係を築いていくことが困難になっていることにも気付きました。
負けそうになる度に何度も何度も私を引き留めていただきました。どうして戻ろうとするのか・・・就職活動の時に行った自己分析とは比べ物にならないほどの緻密で繊細な分析をレッスンで重ねていきました。そこから導き出されるヒントをもとに、行動に移していく…根気のいる作業です。でも、これまでにした事のない行動をすることで、確実に内面は変化していきました。そして環境も変化し、それは自分の自信になり、次の一歩を踏み出す力となっていきました。
将来について考えることができない自分が、一人で物事を決められる、進められることに気づき、呪縛が溶けていくような感覚でした。そして、自分の表情が引き締まり、スタイルもよくなっていき、鏡に映る自分が少しずつ好きになっていきました。
一人暮らしをやめ実家に戻る事で、家族と向き合うことにもなりました。これまで言いたいことを言わずに逃げてきた私が、母に全部思いをぶつけることができたのです。
それでも母は、言葉を受け止めてくれました。「見放されるのではないか、がっかりさせるのではないか…だったら言わないまま、心の内に止めておこう。」それまで私を覆っていた恐れがその時にやっと剥がれたような感覚でした。そして、気持ちをぶつけてもちゃんと味方でいてくれる母の優しさを知ったのです。

<妹が教えてくれた優しさと許す心>
レッスンを重ねていく上で、それまで受け入れられなかった妹へのネガティブな心を認めるようになりました。
笑顔の柔らかい表情、そして精一杯生きている姿は、私に何物にも変えがたい生きてく強さと、許す心と優しさで接する温かさを教えてくれました。その素晴らしさを全身で、命をかけて教えるために、きっと私の妹として生まれてきてくれたんだね、と私はようやく納得したのです。

<インストラクターとして輝く自分に逢いたい>
~Yukiko Voice~と出逢ってから、過去の自分とは比べ物にならないくらい幸せを感じている自分がいます。金銭的に裕福になったとか、ほしいものが全部手に入ったとか、そういった幸せではなく、満たされた心があるんです。妹がいてくれることへの感謝の気持ち、いなかったら味わうことのできない生きる力を感じることができます。仕事でも、一人では何も決められなかった私が、一人でラジオのドキュメンタリーを作り上げることができるようになりました。取材も、編集も、ナレーションも全部自分で決めてできたんです。人によっては大したことないと思われることかもしれませんが、私にとっては大きな一歩です。その一歩の大きさに気付けるようになったのも、きっと心の豊かさが戻ってきたからなのかもしれません。当たり前のことに感謝できることで、心は豊かになると感じています。
自分と向き合っていくことは、これまでに起きた出来事や経験と自分を認め、納得していくことなのだと思います。それはすごく大変で難しくて、逃げたくなることもよくあります。
さらに先生の言葉に抵抗しようとする我の強さ、プライドの高さがいつも邪魔をします。
生まれ持った気質を受け入れ、向き合うことが特に大変です。
でも、それでも確実に意識、環境も変わります。自分に起きた過去の出来事も肯定できるようになるのだと思います。認める強さが、内面だけでなく、外見の美しさとなるのです。
〜Yukiko Voice〜は、自分が諦めない限り、輝く自分に出会えます。そう信じています。それは自分の可能性を信じること。自分自身を信じることです。
レッスンを受けながら、私には新しい目標が生まれました。
自分の経験を生かして、同じように苦しむ人がいるなら、その人が前へ進める手助けをしたい。今日、ここに全てをお書きしたつもりですが、自分でも気づけていないネガティブがまだあると思います。でも、こういう風に書こうと思ったのは、これを読んで一人でもいいから自分を諦めずに、変わりたいと思う人がいるなら、ヒントは〜Yukiko Voice〜にあるということを伝えたかったからです。
人の輝き、幸せを受け入れられずにいた自分は、ネガティブな心にエネルギーを使ってきました。それは間違っています。そのエネルギーはポジティブなことに使っていきたいです。インストラクターとして、自分の過去から学んだことを教訓に、人が輝く手助けができる人間になることが私の新しい目標です。
そして、自分の経験してきたこと、ネガティブな自分を作り上げてきたもの全て受け入れ、そして、本当の自分を隠さずに、堂々と歩いていきたい。
ありのままでいる自分、ありのままの自分を受け入れてくれるパートナーを見つけ、幸せな家庭を築き、
自立した女性になりたい。心からそう思います。

〜Yukiko Voice〜アソシエイトメンバー  宮川 理佳

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