〜Yukiko Voice〜アソシエイトメンバー  吉朝 潤子

〜Yukiko Voice〜アソシエイトメンバー  吉朝 潤子

「~YukikoVoice~との出会い」
私は、ストーリーテラーとして子どもや大人にお話を語っています。声を使うため、もっと心に届く声で語りたいと思っていました。新聞広告で〜YukikoVoice〜を知りました。他にも沢山のボイストレーニングがあることを知っていましたが、心に感じるものがあり、熊日生涯ブラザでグループレッスンを受け始めました。
私が思い描いていたボイストレーニングとは違いました。それは、自分の体と心に向き合う時間でした。当初の目的とは何だか違うという気がしましたが、その時間がとても心地よく、穏やかさと静けさに魅了されました。喜んで通っていましたが、あるところから、レッスンの中で求められる声が他の受講生のようには出せないことが増えてきました。私には、それがとても嫌で悲しくて、毎日家でレッスンで教えて頂いたことをやっていましたが、それでも、目立って改善はしませんでした。もう止めようと思ったことが何度もありましたが、レッスンの日になると、やっぱり魅かれて出かけていました。そんな中で、少しずつ自分が柔らかくなっていくような感覚がありましたが、やはり私だけができないことが重なったある日、Yukiko先生から「後は心の問題なのよ」と言われました。心の問題って何?と頭では分かりませんでした。しかし、心には、それだ!というような感じがありました。

「プライベートレッスン  ~母~」
私は、母と表面的にはうまくいっていましたが、根っこのところでしっくりいっていませんでした。
母から電話がかかってきた後はいつも心が波立っているのを感じるようになっていました。私は、子どものころから、母の要求に私が上手く応えられたときだけ受け入れられていると感じていました。私は、期待に応えるべく努力家で、いわゆる優秀ないい子として育ちました。
グループレッスンを始めて4年目に母の病気が見つかりました。余命半年から一年という診断でした。このまま、表面的にきれいに付き合ってお別れしたので本当に良いのかという気持ちが私の中に生まれました。その時Yukiko先生の言葉と、グループレッスンで感じていた心に届く不思議な心地良さと、直感を頼りにプライベートレッスンを受けることにしました。どういう解決があるのかもわからないけれど、何とかしたいという思いで、飛び込んでいきました。
レッスンを通して、母や父に対する思いや、自分が感じてきたことに、一つ一つ向き合っていきました。母が子育て中に置かれていた状況、時代の流れ、その時に感じてきたであろうことを丁寧に一つ一つ掘り起こしました。そして、その時代に父が置かれていた立場と父が感じていただろうことも掘り起こしていきました。時には、過去の問題を語る時に、生々しい感情が吹き出し、心の中で蓋をしてなかったことにしていたけれども、消えずに残っている感情に気が付き驚きました。そうしながら、月一回、大阪まで、母に会いに行き、一泊して過去の出来事の話やその時の気持ちや死を前にした今の気持ちを聞きました。今の母を感じ、その時の自分にできる限り正直に自分の心の奥の気持ちを話すことを始めました。沢山の心のエネルギーが必要でした。そして、だんだんと認知機能が衰え、体が弱っていく中での母の生きざまを見つめ、心で感じる時にもなりました。
そうする中で、時代の中で母と父が置かれた状況が分かり、両親の人生から、当時の二人の気持ちが分かり、どんなにその時代を精一杯に生き、そうしながら、どんなに私のことを愛してくれたのかが分かってきました。そして私自身が、心の奥で初めからずっと両親のことがものすごく好きだったことに気づき、だからこそ幼い私は、両親の気持ちに応えたいと強く感じていたことに気が付きました。そして、努力家で良い子として生きるのを選んだのは、幼い私自身であったということに気が付きました。
私は、母が大好きなことを伝え、母は、私に辛い思いをさせたことを謝り、私も、母に寂しい思いをさせたことを謝りました。心からの有難うと、愛していますを伝えることができました。そして、母は、「潤ちゃん大好き。生まれてくれてありがとう。私の人生で一番良かったことは、子どもが二人いたこと。」と言ってくれました。大阪に通っている間、母の体に触れ、母にも抱きしめてもらいました。通うたびに新しい発見があり、母と自分への理解が進んでいきました。長い間母を抱きしめることができませんでしたが、通いながら抱きしめることができるようになり、介護する中でも、何度も何度も抱きしめました。命の最期の時を一緒に過ごし、心いっぱいに有難うと大好きを伝えられて、本当に嬉しいです。母も、そして父も、とても喜んでくれたと思います。葬儀には厳粛中にも、まるで卒業式のような明るさがありました。私は、自分の心の中にあった本当の思いに気が付き、伝えることができたことで、心の縛りが取れたように感じました。

「父」
父は、母より10年も前に、病気で他界しました。私にとって父は怖い人でした。私は、父は、あんまり偉い人なので何を話したらいいか分からないという感じを持っていました。その父との間に私には心にわだかまっていた問題がありました。父が病気になった時も、生まれた子どもを見せに行った時も、私は父の心に近づきたくてたまらないのに、どうしても踏み込んで、後に、母との間でできたような赤裸々な心で出会うことができませんでした。母の所に通って、話をする中で父が時代の中で置かれていた状況や、その時の行動の意味と父の気持ちが分かり、父の人となりが分かるようになり、父がどんなに私のことが好きで、大事に愛してくれていたのかが分かるようになりました。そして、私は心の奥で、ずっと自分がどんなに父のことを好きだったか、大好きでたまらなかったかということが分かりました。父が、困難な状況の中でも、ずっと私たち家族を一生懸命に守ってきてくれたことが分かりました。そして、父の母への思いと、母に託していった私に対する思いを感じることができました。私が、こうやって今、自分の心と向き合い、絡まっていた心をほぐし、自分の感じ方のパターンに気が付き、それを捨てて本来の自分に近づくことができたのは、父が母に託し、二人の後押しと愛があったおかげだと今、分かります。
父が生きている間に、私は、父と心の底から出合うことができませんでした。そのことを父も感じていたと思います。だから、母に託していったのだと思います。私は、生きている父を抱きしめて、心の一番深い所からの有難うと、気が付かなくてごめんなさいと、大好きを伝えることができませんでした。でも、母に対して私が行ったことが、実は同時に父に対してもやれていたのだと感じています。父は、きっと喜んでくれたと思います。父は母に、「でかした。よくやり遂げてくれた。」と言ったと思っています。だからこそ、母は、あんなにやり遂げた満足感で帰っていったのだと思っています。

「振り返って」
母の事を皮切りにして、私は自分のストレスパターンを知り、そのストレスパターンに向き合うことができるようになっていきました。そして更に自分の心と向き合う中で、当たり前になってしまっていた行動の裏に、蓋をしていた感情や思い込みがあることに気が付いていきました。その一つ一つに向きあい蓋を開けて、その感情を認め、納得して心の中に入れなおしていきました。心のエネルギーが必要でしたが、心の絡まりを解き、自由になっていく大きな喜びがありました。変化は少しずつでしたが確実にあり、それによって、表情が変わり、自分が見える部分や感じることが変わってくることが実感できました。
私は子どもを授かった時にその命の重みと責任を強く感じ、子育てに全身全霊をかけると決心しました。私は、その時の自分にできる最高の力で子どもを愛してきたと思っています。成長した子どもたちの姿にも満足してきました。しかし、子どもたちの中には今まで私が見えていなかった心の部分があることに気が付きました。子どもたちの心も少しずつ変化し、私の変化が私一人の変化にとどまらないことを感じています。
そして、私は、心の重しを取ることで、グループレッスンで出せなかった声が気持ちよく出せるようにもなりました。
私が、自分の内面に起こってくるものよりも、外の物差しに無理やり自分を当てはめようとしていたことを感じます。
今、自分の心に向き合うのが喜びになり、自分がとても好きになっています。自分が大事に感じられるようになり、自分をさらに豊かに育てたいと思っています。今の私は、立ち止まって自分と深い対話することがものすごく貴重なことに思えます。もっと自分を知りたい。感じたい、そして自分の深い心の声を的確に聴いて毅然として生きていける自分になりたいと願っています。自分の中に答えがあることを知ったのも全く大きな喜びです。変化し成長していく自分が好きです。そして私は、ずっと両親をはじめとする先祖と家族に大切に思われ、大事に守られてきたということにも気が付き、当たり前の日常に深く感謝できるようになりました。
ここまで歩いてきて、私は今、人の心に寄り添い、励まし、その人本来の姿で輝いて生きていくお手伝いができたら、凄いだろうな。と思いはじめています。

 

〜Yukiko Voice〜アソシエイトメンバー  吉朝 潤子

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